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幸い、北マリアナ諸島のリカバリーの動きは、ほかのビーチリゾートと比べて速い。ネガティブな要因(9.11、イラク戦争、SARSなど)が発生する以前と比較して、ほぼ同じ程度にマーケットが成長している。「価格訴求があったからこその動き」ともいえるが、「回復が成った今こそ、価格訴求競争から脱して、次のステップに進むべきではないだろうか」との声が多く挙がっている。 では、価格訴求競争から脱して、如何にすべきなのか。マリアナの場合、そのキーとなるのは「マリアナ特有の魅力」の創造、消費者に対するその浸透にあると考える。北マリアナの観光産業関係者も、官民ともにその点での理解度は高い。では、実際に、北マリアナでは、どのように動き出しているのか。ここでは、「ガラパン地区」の活性化プランという政府の取り組み、「サイパン地球人村」の開設という官民共同での取り組みを具体例として紹介してみたい。
北マリアナ政府では、サイパン島の中心地「ガラパン地区」において活性化プランを実施している。マリアナでは(特に観光産業関係者の間においては)、サイパンの観光素材、特にDFSギャラリアやハイアット・リージェンシーなど主要ホテルが存在する「ガラパン地区」の美観、個性、安全性の確保、という課題への対応が求められてきた。これについては、北マリアナ諸島政府としても理解を示し、今回の活性化プラン実施に至っている。この計画により、サイパン島を観光地としてアップグレードかつクオリティーのあるものとすることが可能になるだろう。 具体的なガラパン地区の再生プロジェクトは、排水路の修復、歩行者モールなどを設け「歩行者天国化」するなど、旅行者向けの整備向上を行っていく。「歩行者天国化」については、「遊歩道の延伸」「歩行者モールとホテル・ストリートの改修」「コーヒーツリー・モール沿いの第2歩行者モールおよびパーム・ストリート(セカンド・ストリート)の整備」「マイクロビーチ・ロードおよびマウンテンサイド/中央分離帯に沿ったビーチロード・サイドウォークの整備」が行われる。2004年中の完成を予定し、道路自体の整備のほか、アーケード、噴水などが設けられ、椰子の木が植えられる。さらには、各店舗も外観を整えられる予定だ。ガラパン地区の「歩行者天国化」が完了すると、他のデスティネーションにはない、「サイパン固有の景観」を持ち、且つ旅行者が安全にショッピングなどを楽しめるエリアが誕生することになり、マリアナの観光産業の大きなセールスポイントとなるだろう。
また、付近の「アメリカン・メモリアルパーク」もリノベーション工事が行われ、マリアナの文化を紹介する「ビジターセンター」の建設、シアターのアップグレード化などが行われる計画だ。ビジターセンターは、北マリアナ諸島を中心とする西太平洋地域を強調した「半地球儀」のあるエントリープラザとなり、半地球儀は見学者参加型の展示物となる。ビジターセンターの屋根は、藁葺きのカヌーハウスを想像させる急勾配のものとし、ミクロネシア文化を印象付けるデザインとする。施設内には、学習の場、120席の劇場と2800平方フィート(260平方メートル)の展示スペース、図書館、売店、お手洗いなどが設けられる予定だ。シアターのアップグレードについては、高性能音響システムの導入、既存客席近くへのステージの移動、楽屋(グリーンルーム)の拡張、公衆トイレの増設、座席カバーの布地採用などが盛り込まれた、屋根付きシアターが登場する。なお、これら「アメリカン・メモリアルパーク」のリノベーション事業が完了すると、修学旅行などでの活用、大規模グループツアー向けのイベント開催など、団体マーケットの受入態勢が充実し、同マーケットの拡大につながると期待される。
サイパンビーチパスウェイでは、1000以上の花を咲かせるフレームツリー、椰子の木、アイロンウッドなどの木々が木陰を作り出している。なお、木陰が続く、この景観を作り出す際には、新たに植えられた樹木は全体の5%以下。できるかぎり自然のままを活かしてデザインされたため、サイパンビーチパスウェイは曲がりくねって存在する。 クォーターマスターロードとサイパンビーチパスウェイが交わる地点に旧日本軍が第二次世界大戦中に使用した戦車が置かれ、第二次世界大戦の追悼記念碑として大切に祭られている。サイパンビーチパスウェイは、自然景観だけでなく、サイパン島の歴史の一コマを観ることもできるため、修学旅行などで、サイパンビーチパスウェイでのウォーキングを組み込んではどうだろうか。 また、海とイルカのコントラストが美しい銅像「サーティーン・フィッシャーマンズメモリアル」も、サイパンビーチパスウェイの途中に存在する。これは、1987年に台風で命を落としたオルワイ船乗組員13名の漁師を追悼して建てられており、毎年9月23日は、彼らの追悼記念日となっている。 なお、サイパンビーチパスウェイは、米国障害者法令(ADA)に基づき、車椅子も無理なく通行できるように斜面を全て5度以下に設定している。 ![]() 2003年7月にオープンした「サイパン地球人村」(現地英語名:Chamolinian Cultural Village)。ハファダイ・ビーチ・ホテル隣接の約8000平方メートルの敷地「カロリニアンウッド」に開設している。これは、近畿日本ツーリストと、現地グループ会社のパシフィック観光開発(PDI)、ハファダイ・ビーチ・ホテルの共同事業として、北マリアナ連邦政府、マリアナ政府観光局など地元の協力により実現。「旅先で我が家をつくる」を基本コンセプトに、サイパンに住む2つの先住民「チャモロ」と「カロリニアン」の文化体験、自然体験、地元住民との交流を通じて、通常の観光では得られないサイパンの魅力を体験できる観光素材として注目されている。 「サイパン地球人村」では、チャモロの言葉で「いちばんの友達」を意味する「プリモ」「プリマ」と呼ばれる、現地スタッフに迎えられる。「サイパン地球人村」では、「マーマー」と呼ばれる花冠と、ビーズ椰子の葉の伝統装身具に身を包んだ地元住民によるダンス見学。チャモロまたはカロリニアンの伝統的建築方法で作られた椰子またはパンダーナスの葉葺き屋根のブースで、ビーズ細工作り、ウッドクラフト作り、ココナッツオイル作り、椰子の葉細工作りといった、伝統文化を体験できる。 また、ビーチでは、海洋民族であるカロリニアンの伝統的カヌー(シングル・アウトリガー・カヌー)に体験乗船ができる。
一方で、「サイパン地球人村」は、「チャモロ」と「カロリニアン」の“初”の共同事業としても注目されている。これまで、両民族の交流の歴史は深いが、一緒に何らかの文化行事を行うことは希であった。今回の「サイパン地球人村」の持つ「サイパンへの観光客との文化交流促進」というテーマが、「橋渡し役」となる形で、実現に至った。「サイパン地球人村」は、観光客との交流の場としてだけでなく、両民族のフィエスタなど伝統行事や結婚式などの場として、地元住民の積極的な利用も期待されている。また、チャモロ、カロリニアンともに、次世代に対する自文化の伝承が課題となってきた。そのための機会としても期待は大きい。さらに、そういった場に、観光客も気軽に参加できれば、「サイパン地球人村」の魅力はさらに広がり、そこから「北マリアナ特有の魅力」が、次々と、また人為的でなく自然に創造されていくだろう。
また、地元住民をプリモ・プリマとして採用することで、以降、彼らがサイパンの観光産業で活躍できるような「養成施設」としても「サイパン地球人村」は期待されている。北マリアナ特有の魅力が自分たちの伝統文化にあることを認識した地元の人材が育ち、将来彼らが北マリアナの観光産業を担う立場になった時に、どのような北マリアナを創造していくのか、非常に興味深い。 2つの先住民族、チャモロとカロリニアン
前述のごとく、北マリアナ諸島には、チャモロとカロリニアンの、2つの先住民族が存在する。古代チャモロの人々が北マリアナ諸島にやって来たのは、今から約3500年前。紀元前1500年頃とされる。チャモロの言語がオーストロネシア語族に属すること、土器の技術などから、インドネシアなど東南アジア方面から渡ってきたと推察されている。テニアン島は、古代チャモロ人の「タガ王朝」の中心地であったとされ、巨大な石柱「タガ・ストーン(ラッテ・ストーン)」が残る。タガ・ストーンが建てられた目的は、家屋の基石説が有力だが、完全にその謎は解明されていない。 その後、16世紀にスペイン人が北マリアナ諸島に到達した以降は、カトリックなどヨーロッパの習慣が、チャモロの間に浸透。また、スペイン人や、スペインの植民地であったメキシコ、フィリピンからやってくる人々との婚姻もあり、チャモロ文化は次第に各地の文化の要素を受け入れた混成文化となっていく。 ショーで披露されるチャモロ伝統のダンスをみると、ギターを使用したリズミカルな音楽、衣装にラテンの影響がみられる。 チャモロ料理については、古代よりタロイモや米、ブレッドフルーツ(パンの実)を主食としてきたが、現在もしれらは受け継がれている。そこに、スペイン、メキシコ、フィリピンの食習慣が混じり、さらには日本料理の影響も受け、独自の料理を形成している。 このように形成されたチャモロ文化だが、旅行者に気軽に体験してもらうには、伝統ダンスの鑑賞や、チャモロ料理の食事を旅程に組み込むことが行い易い。また、それは北マリアナでしか体験できない素材で、旅行者のよい思い出となるだろう。
カロリニアンの故郷は、北マリアナ諸島よりさらに南方のカロリン諸島と言われる。18世紀頃より、彼らはカヌーを巧みに操り、北マリアナ諸島まで交易に来ていたといわれるが、定住を始めたのは、1818年に、カロリン諸島のラモトレックより、多数の島民がサイパン島に移住してきてから。その後も、ウォレアイ、サタワル、エラートなどの島々からも、サイパン島に移住している。 男性は褌、女性は腰蓑という出で立ちのカロリニアン衣装は、スペインなどの影響が濃いチャモロと比べると、南洋文化本来の姿を古来より受け継いでいるといえる。 また、カロリニアンが受け継ぐ技術で特筆すべきなのが、シングル・アウトリガー・カヌーの建造と航海術。「サイパン地球人村」では、観光客も体験乗船でき、エンジン音のない、波をかき分ける音だけというカヌーは、ストレスのない貴重な時間を提供してくれる。エコツーリズムの観点からも勧められるアクティビティだ。 |
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